どうも!お松です。 普段から何かと喋りだすと長文になりがちなおしゃべりクソ野郎ですが、ツイッターでは母数的に景零より他CPの人からのフォローが多い関係上(あれでも)ある程度の自制をしています。
ですがせっかくパスワードつきのオンリー、ここは景零が好きな人しか見ないはずだ! ということで、ツイッターでは出しづらい重めの景零語りを、私がハマった4年前から時系列で、余すところなく喋り散らそうと思ってます! よろしくお願いします!

景零にハマったきっかけ

これは間違いなくゼロの執行人です。 公開から10日めくらいに行ったので2018年の4月かな。

 

「景光ゼロシコに出てないのに何で?」って感じですが、意外とここからって人多いので、景零の才能がある人にしか見えない景光が登場してたんだと思います。

降谷が電話BOXで朝日に目を細めるシーンなんかは有名な景零シーンですね。

下記は運命のゼロシコ初視聴宣言ツイート。

 

まず当時のコナンジャンルですが、純黒からの大人キャラBLブームが衰えることなく続いている状態でした。

安室も赤井も原作には既に登場して長かったにも関わらず、純黒までは大して注目されていなかったんですよね。

これは古参コナンファンの友人から聞いた話ですが、純黒が公開される前、何かのコラボでキャラクターのクリアファイルが数種類展開された時、安室&赤井コンビのファイルだけ最後まで山のように残っていたそうですよ。今じゃ考えられませんよね。

 

劇場版の影響力がどれだけ大きいジャンルかというのを思い知らされます。

 

で!ゼロシコはそのブームの片割れである降谷零が主役 且つ 影響力の多大な劇場版 ということで、しかもあの内容でしたので、安室の女達による「最高だったからみんな観て~!!」というたぐいの熱烈なプレゼン大会が繰り広げられていたのも自然なことだったわけです。

 

プレゼンの内容としては、降谷零の人物相関図、公安という組織の解説…等々。 ようは映画を見る前に頭に入れておくとより楽しめるといったタイプのものですね。ゼロシコ、専門用語だらけでちょっと難しいですからね。

例にもれず私のTLでもあらゆるアプローチでゼロシコプレゼン繰り広げられておりました。  

 

そこで見た人物相関図から、「既に死んだ幼馴染がいる」という情報だけは事前に把握していたことを先にお伝えしておきます。

 

そんなカンジで 公開日からの盛り上がりが傍目から見てもすごかったし、世間が熱中してるものをインプットしておくかぁ~という感じのノリで地元の映画館に足を運んだのです。

あと私は基本的にイケメン+天才肌キャラが好きですので。 降谷零に普通に興味があった。

 

 

 

そうして1回観たあと、第一印象として「あ~面白かった~!」 ではなく 「これは…?」 という心のざわめきを感じ、自然と足は次の上映回のチケットを買うべく発券機へ向かいました。俗に言う追いゼロシコです。

 

 追いゼロシコ後、やはり打ちのめされました。

 

『降谷零… なんて…なんて、孤独な男なんだ…』

『彼を救済できるのは…誰なんだ…?』

『待てよ、確か新一と蘭よろしく彼にも幼馴染がいたはず…どんな人だったんだろう』

 

そう思ったらいても立ってもいられず、駐車場に戻って車の中でスコッチのことをスマホで調べました。その結果

 

スコッチの顔があまりにも好みドンピシャだった

 

何を隠そう、わたくしヒゲの男性が大好きでして、二次元に限った話ではなくツルツルなキレイな顔より整えられたヒゲがある顔にセクシーさを感じる性質です。 もちろん似合う・似合わないがあるし元のキャラのイメージというものがありますから、もともとツルツルのキャラがヒゲを生やすというシチュエーションはむしろ違和感を覚えるのですが(例:エレン)最初から生えていればそれはセクシー要素以外の何物でもない。

 

特にコナンのヒゲキャラって だらしないイメージの無精ひげ もしくは毛利小五郎や諸伏高明といった特徴的なユーモアヒゲが主で、私好みのややワイルドみのある整えられたヒゲってあんまりお目にかかれないんですよね。

あんまりお目にかかれないといえば、二重まぶた!!まつげ!!!

これもメチャメチャ特別感ありましたね…なにぶんコナンのキャラは基本ひとえだし、目尻にまつ毛を生やした男もそういない。

 

『え… なんか、めちゃめちゃ特別な要素つめこまれてない?このキャラ…』

『何この待遇…死なせるだけのキャラならもっとモブ顔でよくない?』

 

なんかそういう”特別感”を感じてしまって、これまだ先に何かあるな…っていう直感がはたらきました。

”降谷零の死んだ幼馴染” で既に完結したキャラではないぞと。

 

まぁ実際は『兄貴にそっくり』ってだけの理由で、別にキャラデザ優遇されてるわけでもなんでもなかったんですけど。わはは。当時はまだ長野県警の存在知らなかったんですよ。

ヒゲだけは未だに…というか、少年時代から成人後もずっと容姿・性格ともにピュアな美少女だったことが判明したからなおのこと、何故ヒゲキャラにしたのか不思議。 本当にありがとうございます。

 

そしてあれこれとゼロシコの感想を書きながらポロッとこぼれ出た本音ですね。

日付に注目してください、2度のゼロシコを浴びて帰宅した直後です。

 

素直すぎる

最初の動機ってわりとそんなもん。

 

もちろん「スコッチ×バーボン」を検索しました。(当時はまだスコッチの本名がわからなかった)

結果、500件あるかないかくらいだったかな…

 

少なっ!!? て思いましたね。

こんなこと言うとマイナーマウント女に「贅沢言うな!自カプなんて1桁ですが何か!?」とか理不尽にキレられるんですけど、知らん。少ないと感じる基準は人によって違うんで。

 

今でも、この尊み秀吉(とうとみひでよし)カプに対し世間の理解度が全く追いついてないと思ってます。

今の100倍あっていいと思ってます!!!

そしてスコバボ沼へ

まだCPにもなってないのにどれだけ喋るつもりなんだろう、自分でもわかりません。

ついてこられる人だけついてきてください。

 

ゼロシコを見た時点では、まだ”スコッチ好きの安室の女”でした。 安室沼に浸かりながら、この孤独な男に救済をもたらせる相手を探している状態です。 当時は本当にスコッチについての情報がとにかく何にもなかったので、どんなに好きでもなかなか深入りするきっかけがなかったんですよね。

 

名前はもちろん、性格も、 そもそも幼馴染だっていう関係性さえも公式の媒体で発表された情報ではありませんでしたので(ファンの1人が年賀状でスコッチと安室の関係を質問し、お返事にて『ただの幼馴染だよ(笑)』という回答があったのだ。つまりその年賀状のお返しをもらった人がそれを公表していなければ、幼馴染という関係すら明らかになっていなかったってこと!)それまで原作厨として、原作からの情報提供を大前提に同人活動してきた身としては今ひとつ、一歩踏み出せませんでした。

 

その後 電子書籍で安室セレクションを買って安室登場回をさらうなどし、同時にスコッチの今現在公開されている情報も全てさらうことが出来ました。少ないので…。

 

この時から確実に言えるのは

『降谷零、スコッチのこと大ッッッッッ好きで、いっぱい甘えていたんだな…』

っていう、妄想でもなんでもない、事実のみ。

 

 

 

4年前の私へ。 あまりにも ” わかる ”。 

 

他人の血液に直接触れることがどれだけ不衛生で非常識な行為かなんて、バーボンなら当然わかっているはず。 あの状況で生死を確認するのなら、首の脈を取るなり瞳孔を見るなりすべきです。 バーボンも平時であれば当たり前にそうするでしょう。 でもスコッチだったから、彼の血にまみれようと構わず心臓の音を聴こうとした。 たとえ血液だろうと、バーボンにとってスコッチを構成するものが忌避すべきものであるはずがないとでも言うように。

 

その行動ひとつで見てとれる圧倒的"事実"が、ここにあるんだよな…。

いや改めて言うと、すごいな。 大好きだな。 何よりバーボンらしからぬ激しい動揺が伝わってきますよね。

 

当時からスコバボで活動されてた方々は、この事実だけを頼りに、時に救いを得ながら、ご自分なりの想像や解釈で色んなスコバボを表現して愛でていらしたのだと思います。すごい…。

 

私ももうこの時点で、「降谷零の救済に関してスコバボを上回る関係性など無い」って悟り状態に突入しちゃってます。 『救済をもたらせる相手を探している』といいつつ、景零以外のCP絵を描いたことも語ったことも一度もない。 こんなに大好きな相手がいるのに、死んだからといってホイホイ別の誰かと恋愛する降谷零なんて考えられなかった。 そうして景零以外の零くん絡みCPは自然と避けるようになっていきました。

 

しかしスコッチの性格がわからなすぎてCP妄想にはなかなか至らないのである。

 

 

この頃、サンデーでは黒ウサギ亭のあたりをやっていて、降谷零がハーフであることが正式に判明したところでした。

これはスコッチのキャラが全然わからないので、ヤンチャ系かな?って想像で描いた記念すべき1作めの景零二次創作ですね。

もちろん無事お蔵入りしました。(でも金髪ちん毛ネタが惜しかったのでK学組で後々リメイクした

 

こんな感じで、景零沼への浸かり方をはかりかねる…みたいなフワフワした状態がしばらく続きます。

2018年5月 スコチの変 勃発

とはいえ、のんびりフワフワもさせてくれないジャンルでした。
渋谷のコナンカフェにて、青山先生が恒例の直筆サインにお絵かきを添えられたのですが、それが何の前触れもなく、突然の警察学校組だったんです。

フェ!!!???

って感じ。 青天の霹靂もいいところ。

純黒で松田が降谷の同期だったことが判明して、それ関連でこの5人が同期であるということもチラッと公表だけはされていましたが、本当にそれだけというか。純黒の一件以来、原作側が触れることのなかった領域で、5人そろった姿を描かれたのもこれが最初。

 

それがなんで!? 今!? 突然の公式供給に界隈はおおいに慌て、色々と思惑が飛び交う中 注目されたのが、スコッチの描かれ方です。

 

  • ヒゲが無い
  • ツンとした表情

 

という、これまでのスコッチになかった概念を突如ぶちこんできたのですよ!!

 

いやまぁそれまでも、原作で提供されたスコッチは無愛想(単行本の鍵穴、ガルバン回での降谷の回想)でしたが、やはり真純とのあのホームでの一連があるのでね。 "無愛想な顔"="潜入捜査官としての顔"であり、その本質は泣きそうな少女を放っておけない心優しい青年。 スコッチといったら 「温和」「ムードメーカー」「誰にでも気さく」「とにかく明るい」「包容力」といった、完全な"陽"キャラとしての認識が主流でした。

 

ゼロシコでの"陰"なイメージの降谷零と対照的な印象を持っていましたね。 何不自由なく多くの愛情を受けて育ち、与えられた分だけ人に与えることが出来る性格なんだろうなと。

その温かさに降谷零はずっと救われてきたに違いない…!と。

 

 

しかし! このコナンカフェのイラストによって新たに提供されたスコッチは、まだ潜入捜査官ではないにも関わらず、無愛想じゃないですか。

 

その、これまで築き上げられてきた同人スコッチと印象がまるでちがうスコッチの提供により、掴みかねていたキャラがさらに混迷を極めます。

ちなみに、この時に新たに加わった"陽"ではないスコッチを「渋谷スコッチ」と呼んだりしましたね。

 

 

そんな中さらに追い打ちが。

おなじみ、青山先生の毎週のファンとの交流ツールである「どうぶつの森」にて、あまりにも突然、スコッチの掘り下げが始まります。

脈絡なさすぎでは!? 息継ぎする時間をくれ…

(ちなみに、ここで言ってる「ちはや」は萩原姉ではなく、競技かるた漫画「ちはやふる」のことです)

 

何でこんな急にスコッチの掘り下げが始まった…?何が始まろうとしてるんですか?

 

まぁ今考えてみると、この頃から既に警察学校編の構想が出来上がりつつあったのでしょうね。

いや、もしかしたら劇場版に奴らを出そうということまで、この時点で決めていたのかも。そんで出し惜しむ必要のないものを放出し始めたと。

  

そうとは知らない当時の我々にとっては本当に意味がわからない、

唐突すぎる掘り下げの始まりだったわけですが…。

 

 

確かに、我々は彼の真名を欲していました。 それさえあればどんなに創作がしやすくなるか。

想像してみてくださいよ、景光と零の漫画を描きたくても、名前を呼ばせることすら出来ないんですよ。

幼馴染なのに。誰よりも多く呼んできたはずなのに。知ってるはずなのに。

まるで零くんが大好きな人の記憶を消されてしまったみたいで、めちゃめちゃつらい。

 

正直、キャラクターの『名前』というものをここまで神聖視したことはありませんでしたね。それまで名前なんてのは、そのキャラと同時に、当たり前に最初からあるものだったから…。

名前を呼ぶよ、あなたの名前を あなたがあなたでいれるように…(名前よ呼ぶよ/ラックライフ)

 

いやらしいのが、これ1週間に1文字ずつ開示してくるんですよ

「ヒ○○○」→「ヒ○ミ○」→「ヒ○ミツ」→「ヒロミツ」だったかな?

この頃は私も 長らく放置していた とび森を再開して、毎週自分で見に行ってましたね。

 

ただまぁ、中の人的にヒイロ・ユイ要素が入ってくるだろうという確信があったので、「ヒ○○○」の時点で「ヒロ…なんとかだろうね」という予想は立ちました。

さらに翌週が「ヒ○ミ○」だったので、下2文字が中の人の「光」をとって「ヒロミツ」なのだろう、と。 つまり2週目で名前は判明したも同然でした。

 

漢字については、「みつ」は中の人の名前から拝借して「光」でおそらく確定だし、「ひろ」という漢字もそこまで多くあるわけじゃないので、正直そこまで大きな期待はしていませんでした。

 

てかぶっっっっっっちゃけて言うと、実はこのとき率直な感想として、「やや地味かな…」と、少々物足りない気持ちがあったことも事実です。 ヒイロ・ユイという元ネタがあるので、「ユイ君」とか、もしくは中の人の名前をとって「ヒカル君」とか、おしゃれめで華のある名前を期待していたからです。

 

だから「弘光とか、宏光とか、そんなところかなー」って具合。ユイやヒカルに比べて、ややモブっぽい名前であることは否めないと。実際にこの漢字のヒロミツさん本当にすみません。

でもここでは本音を話すと決めたので。

 

しかし特大の爆弾は最後にやってきたのである。

景光…

 

え…? ちょ、待っ… ヤバ…(無意識に口を押さえる)

 

何?その… 洗練された、研ぎ澄まされた刃のような名前…

 

景光と書いてカゲミツと読む銘の日本刀は有名ですからね。国宝にもなっている。とうらぶにも出てくる。

 

ねぇ~~それで「ヒロ」って読ませるとか、誰が想像した?

国宝の日本刀の名前だよ?

跡部景吾のケイだよ????北川景子とか…

 

本当~~~に予想外すぎて、この国の、あまりにも"美しい"ものに与えられるその漢字を冠した名前に、オタクは言葉を失いました。 地味だ、モブっぽいと感じていたのに、漢字ひとつでいきなり高貴レベルMAXの美しすぎる御名になりました。 漢字の持つ印象の力って絶大ですね。

 

冷静になって考えてみると、この「景」という字はドラマ太陽にほえろシリーズでスコッチ刑事を演じた沖雅也さんの本名である日景城児から来ているのだと思います。 同シリーズの刑事から名前を拝借というのは松田・萩原と同じです。

 

おそらく「ヒロミツ」という音だけ先に出来て、ヒロにどんな漢字をあてるか考え、関係性のあるところで「ヒロ」と読めそうな字が使われてないか探したんじゃないかな~って想像してます。

 

感謝しかない…✨🙏🙏✨

名字についての考察ブーム

さて、おおいに盛り上がった名前判明の波を経て、やや闇を帯びるのがこの期間です。

 

スコッチの名前は判明しましたが、名字は「まだヒミツ♪」とのことで、最後まで明かされませんでした。

そこでコナン界隈では、景光の名字についての考察が流行しました。

 

4文字というのは明かされていたので、おもに挙げられていたのは

  • ユイカワ
  • カラスマ
  • モロフシ

あたりですかね~。 ユイカワは中の人の「緑川」と元キャラの「ヒイロ・ユイ」を合わせたやつで、今も二次創作界隈で景光の偽名としてたびたび使用され親しまれていますが、当時はまぁ、そこまで深い意味なんて無くて、ユイカワあたりが妥当だろう、という空気でしたね。

 

今考えると不思議なんですが、「モロフシ」説は一番支持率が低かったです。

「長野県警の諸伏刑事と目がそっくりだよね」という気付きを得た人はいたものの、当時 長野県警には存在感がさほどなく、『だいぶ昔に終わったエピソードに登場した人達』という認識しかなかったのです。 私にとってもそうでした。 あれだけキャラが多いマンガなんだから、目の形が似てるキャラくらい出てくるでしょうと。(あんなに特徴的な目なのに…)

 

何より、諸伏高明って当時どっちかというと「オモシロキャラ」の位置付けだったんですよね。

不思議な喋り方、独特の立ち回り、紳士じみたおヒゲ。車のナンバーが「も-624」(面白すぎ)。

なんかもう、完成されていたんですよ。 これ以上この人に何か要素つけたらクドいじゃん。

こんなオモシロ紳士が、オモシロと無縁の降谷零と繋がってくる想像がまるで出来なかったんです。

 

そんなこんなで私が推していたのが烏丸(からすま)説でした。 烏丸景光。字面はなかなかいい。

 

烏丸というのはもちろん、黒ずくめの組織のボスである烏丸蓮耶の名前です。

ようするに、スコッチ=組織から公安に潜入をしていた、逆スパイだったのでは?という仮説です。

 

これがねぇ…本当に今考えると笑っちゃうんですけど、当時は本当に真剣に考察していました。

よりにもよって、直前に渋谷スコッチという新しいスコッチの可能性が投入されていましたからね。

あの闇深そうなスコッチは、烏丸の一族として友人を欺いている背徳感から来るものに違いない…!みたいな。

 

元々 創作脳なので、うめぇ素材があると次々ひとつなぎのストーリーに組み立てちゃう脳みそしてるんです。

そしてまた、「逆スパイだったのなら、あの時のアレにも納得がいく」といった具合に、仮説がイイカンジにハマっちゃうんですよ~。

 

 

ざっと自分の中での烏丸説を解説しておきます。笑い話です。

 

  • 景光は大金持ちの烏丸家の一人息子。あまり良い噂を聞かない家で、近所では親が子供を『あの家に近付いてはいけません』といった具合で遠ざけていたため、景光には友達がいなかった。しかし零には親がおらず、そういった世間体もわからなかったので、唯一仲良くしてくれた。
  • そうして2人は唯一無二の親友になった
  • やがて高校生になり、景光は組織の一員として、公安に潜入するため、警察官になるよう指示される。 
  • 純粋な正義で警察官を目指す零に対し後ろめたい気持ちを持ちながらも、指示通り公安警察官となった景光。当然ながら零は景光が組織の逆スパイであるなどとは毛ほども思っていない。
  • 親友からの信頼と家督のプレッシャーの間で揺れる景光。どちらを裏切ることも出来ず、徐々に精神的に追い詰められていく。
  • そんな中での裏切りのステージ。ライによって本名&逆スパイという正体を暴かれ、零も組織も裏切ることが出来ず、「仲間(降谷)と家族(烏丸)の双方の情報を守るため、自決に至る。

 

いやー、やばいっすね。 よう思いつくな、こんな中2満載の設定。コナンってこと忘れてない?

 

 

既に述べたように、それまでスコッチっていうのはごくごく限られたわずかな情報で大事に"陽"キャラとして育まれ、愛されてきたキャラなのです。

そのキャラを、たかだか1ヶ月前に映画から参入してきた、無駄に絵と漫画が描けてよく喋る変人が、実は敵側のスパイであるというダークキャラ属性に塗り替えて萌え散らかしてたわけです。 本意ではなかったとはいえ、零のことも騙して裏切っていたって形の妄想ですから。 まぁ当然、古参の方々からは毛虫のように嫌われました。

 

けど私は、妄想を止めることが出来なかった…ッ

だって、めちゃめちゃ萌えたんだもん!烏丸説!!

 

もうちょっと付き合ってもらえます?

烏丸説にはもうちょっと深めの脳内設定がありまして、

  • 実は景光の血縁には隠された因果があって、その血を絶やすわけにはいかないため常に誰かに監視され、逃げられるものではなかった
  • それは当主である烏丸蓮耶の妾腹の子とか何かそういうアレで、烏丸蓮耶が不老不死でいるためには直系である景光の血液が必要だったのだ
  • よって、景光が自決したのを監視システムで知った組織はすぐさま例の屋上に駆け付け、バーボンを撤退させて遺体を回収し、実験段階であったAPTX4869を投与する。
  • 実験段階であるため効果はかなり限定的で、毒薬や幼児化といった効果は現れなかったが、細胞が増殖される効能により心臓の穴を塞ぐことに成功
  • 心臓だけをキレイに撃ち抜いた(遺体が吐血していないため、器官や肺を傷付けていないことがわかる)ことで遺体の損傷が少なかったのが幸いしたのだった。
  • 新一や灰原が幼児化する時、必ず「ドクン!」という心臓の鼓動が強調された演出が入ることにも目をつけた斬新な発想です

…っていう生存説にもつなげることが出来たんです。 もう完全にヒロインですね。

これらの血縁にまつわる妄想は『進撃の巨人の読みすぎ』で片付きます。その説はお騒がせしました。

 

 

私の過去絵のモーメントの初期のほうに、やたらダークな雰囲気をまとった景光が並ぶ期間があるでしょう。

あのへんが、烏丸説に萌え狂っていた頃の絵ですね。これもひとつの思い出なので、恥ずかしいけど消さずに残しています。

 

 

暴走を続ける当時から呆れず見てくださってる方もいると思う。本当にありがとうございます。

 

 

名字の公開はされなかったものの、こういったわかりやすいヒントも出ました。

これ、ほぼ正解を教えるヒントですよね。 でもね、このモロすぎるヒントが逆に疑われて、諸伏説が確定…という流れにはならなかったんです。「ローマ字のことかもしれない」とか勘ぐったりしてね。

例にもれず私も「KARASUMA HIROMITSU」…なるほど、どちらにもMが入っているな。と納得し、烏丸説を推し続けました。

 

 

 

ただの幼馴染で普通にいい奴だったよ!!!いい加減にしろ!!!!

 

そういえば同じ時期、脇田=スコッチ説とかもありましたね。

今こうして字面だけ見ると完全にギャグですけど、これもかなり細かい考察までなされて、説得力がある感じで提唱されたもんだから、一時期騒然となりましたよ。

 

これもまた萌えますよね~。 安室が働くポアロの隣には、安室がもう一度会いたいと焦がれるスコッチがずっと見守っているんですよ。興奮するわ~。

ていうか今も原作で寿司屋が登場するたび異様にドキドキするのは、たぶんこの寿司屋説のせい。

寿司屋に恋してるのかと脳が錯覚するから勘弁してほしい。でも…たぶんまだ彼のこと好き…。

 

もちろん、生存説も、寿司屋説も、SDB BLACK PLUSの一問一答コーナーにて作者にきっぱり否定されてます!アリだな…とか思わないでね!

 

 

 

進撃でもそうだったけど、揚げ足を取るようなメチャ細かい部分まで考察した深めの仮説であればあるほど、だいたいは"考えすぎ"で終わります。

メタ的に考えれば、主人公絡みならまだしも、メインキャラでもない景光にそこまで深い裏事情が用意されてるわけは無いのであった🙃

そして…現在に至る。

急に飛んだね。

うんまぁ、いうて諸伏という名字が正式に発表されてからは、穏やかなもんですからね。

 

現金なもので、あんなにも一番想像できなかった諸伏という名字なのに、これが名前ですよと提示されると、その瞬間からスッと馴染む。 誰だ?烏丸説とかサイコパスな妄想繰り広げてた奴は。 

はい!じゃあそういうことで(岩井統括)

 

 

ここからは、本来ここで書こうと思っていた景零のCP観とかを綴っていこうと思います。

 

とはいえ、ハマったきっかけあたりで 既にだいぶ真理には触れているので、4年経った今もあの時のまま、「お互いこんなに大好きだって言ってんだから…愛し合わせてあげようよ」という尊さを噛み締めているのですが、あの頃と今とで考え方が変わり、CP観が固定した要因としてはやはり「景光が生存している可能性が無くなった(原作者にきっぱり否定された)」ってことですかね。

 

スコッチの自決シーンは未だに謎だらけだし、遺体の行方も、墓の有無も相変わらず不明のままで、原作者からのハッキリとした否定がなければ未だに私は生存の可能性を持っていたことでしょう。 なので、早いうちに否定してもらえてよかったな…と今なら思えます。 だって、「ひょっとしたら生きてるかも?」て思いながらの妄想だとキレが悪いし、何を描くのにも迷っちゃうでしょうから。

 

 

私の鳴き声がひろれ~!ひろれ~!ピヨピヨ!になった当初、当時のTLで別CPを推していたフォロワーに(空リプで)哀れみなのか配慮なのかわからんが、よく言われたことがあります

「スコッチが生きてさえいれば、間違いなく私もスコバボだった😭

 

そして1冊目の景零本を出したあとも、頂いた感想でこう言われました

「れ~くんが可哀想で可哀想で涙が止まりません…早くシュウ(赤井秀一)と出会って優しく抱きしめてもらって~😭」

 

本当に、何ひとつ、欠片も景零の何たるかを理解していない

 

最初のほうにも書いたけど、景零というCPの絶対に揺るがない真理は、「お互いがお互いのことを大好きで、絶大な信頼を寄せ合っている」ってことなんですよ。 これは腐女子フィルタを通した都合のいい解釈ではなく、名探偵コナンにおける"幼馴染"という関係性の持つ愛は!ちょっと異常なほどに!強い!!というただの事実です。 腐女子フィルタがかかると、それが恋愛感情になってくるんですけど…。

 

そして私の解釈では、降谷零は、たとえ大好きな人が死んだからといって、たったの数年で鞍替えするような器用な男ではないんです。 愚直なほどに一途で、不器用な人です。 楽になるための曲げ方を知らない、忘れ方を知らない、その不器用さが愛おしいのです。

 

彼らの愛を語る上で、相手が生きているか死んでいるかはさほど問題じゃないんですよ。

めちゃめちゃ大好きで、誰よりも長い時間を共に過ごして、孤独を埋めあい、支え合って生きてきた。

それは今でも変わらず、景光から受けた無償の愛と思い出は降谷零の心の支えとなり、彼の人生を豊かなものにしてくれているんです。

 

ぶっちゃけ原作(ゼロティ含む)では長らく、降谷がスコッチを思い出す時はいつも険しかったり、寂しそうだったりな顔をしていました。

いつも赤井と接触して苛立ちゲージが振り切れていたり、仕事のしすぎで疲労困憊だったりな状態なので無理もないのですが、その様子はまるで一種の呪いのようで、束縛でもあるかのようでした。

だからこそ景光のことから解放されることこそが降谷零の救いだという解釈に辿り着く人がいるのも、理解できなくはないです。

 

しかし、ゼロティの釣り回で、何の因縁もなく景光を回想した時は、降谷はとても穏やかに、微笑んでいたのですよ…。

 

嬉しかったですねぇ…あの回は。 スピンオフとはいえ降谷が景光を「ヒロ」と呼んだ記念すべき回でもありますし、「降谷にとって景光の存在とは、束縛なんかではなく、こうして優しい気持ちにさせてくれるものなのだ」という…かすみがちだった真理に光明をもたらしてくれたかのような、そういう気持ちにさせてもらえました。

 

思えばガールズバンド回で、降谷は真純に「兄の友人であるその男のことを覚えていますか?」と訊いてしまい「どうして男だってわかったんだ?」というカウンターを返されるという、らしくもないポカをやらかしていますよね。

 

思うにあれはきっと、自分の自慢の親友のことを覚えていてくれる人がまだいたのが、うっかり前のめりになって口を滑らせてしまうくらいには嬉しかったんじゃないかなって、今は思うんですよね。非常にかわいい。

職業柄、景光の本来の姿を知っている人はとても少ないですからね。

大切な故人の記憶を共有する相手がいないのって想像できますかね?めちゃめちゃつらいはずですよ。

 

肉体が消え、誰の記憶からも存在が消えた時、その人にとって本当の死が訪れるといいます。

景光はまだ死んでいないんですよ。真純が生きて、ベースを弾いてくれる限り、おそらく一生。

あの時の降谷はきっとそれが無邪気に嬉しかったんだろうな…

なんなら、意図しなかったところで景光に邂逅したかのような"浮かれ"もあったのかもしれない。

 

まぁ何が言いたいかというと、ようするに、降谷にとっての景光の存在を「縛られてしまっている」「早く開放されて本当の幸せを見つけてほしい」とおもんぱかる言説は、全くの的外れであるということ。

 

 

ひろれクラスタの中でよく言われることですが、「あの世とこの世の遠距離恋愛」という例えは実に的確で、的を射ていると感じます。

ちょっと遠くて滅多に会えないけど(死にかけたり、お盆シーズンとかにたまに会えるかも)お互いが大好きな気持ちが揺らぐことは絶対に無くて、心の支えである存在。いつかもう一度会える時を楽しみに、彼が守ろうとしたものを今も守り、彼に教えてもらったことで人生を豊かにしながら、今をそれなりに楽しく生きている だけ。

  

例えば因縁が晴れたら。 確執が消えたら。

そこに残るのは朝の凪いだ海のような穏やかな愛でしかないんだよと。

 

空虚や消失ではない。埋めたり補ったりする必要は微塵もないんだよということです。

景零というCPは"降谷零の死"をもって完結する

ここからが、自分のCP観で表では出すことが躊躇われる部分になります。

 

誤解してほしくないんですが、降谷零にとって死が救済だとか、そういうことではありません

彼の人生に幕が降ろされるのが100年後だろうと、30年後だろうと、3年後だろうと、29歳の今であろうと、変わりません。同じです。理由は上で述べた通りですね。

 

例えると景零ってCPは"円"です。

この円の頂点が「スタート」であり「ゴール」です。

 

生まれる場所が違ってスタートは同時ではないかもしれませんが、早いうちにどちらかが追いつき、手をつなぎ、そこからは2人で一緒に円周を歩きます。

元々はひとつの魂で、片割れなので、必ず出会うのです。

必ず出会って、めちゃめちゃ大好きになってしまうのです。元はひとつだったから。

 

 

しかし人間ですから、どっちかが歩くのが遅くなったり、途中でログアウトしたりします。

ログアウトすると、円周をす~っと滑って、一気に頂点のゴールに到達し相方を待つことになります。

このゴールが、いうなれば「死」です。

 

相方は1人で寂しいですが、頂点から常に応援の声が聞こえているので、そこを目指して歩き続けるわけです。一緒に歩いていた時にもらった沢山のものを心の支えにして。

 

そして2人ともがゴールにたどり着いたら、しばしの充電期間をもうけて、またそこをスタートにして円を歩き始めるのです。

 

ゴールにたどり着くことで今回の2人の旅は一旦終了なので、「死をもって完結」という解釈に至ると、そういうわけです。

 

それをふまえて聴いていただきたいのが

 

「ずっと隣にいたから、離れていても、零のことがわかるよ」

 

同人誌の1冊目は往々にして作者の解釈発表会になりがちですが、私にとっての「パーフェクト・レークン」もまさにそうで、上で述べた私のCP観をどうにか漫画で描き表せないかと試行錯誤したものです。

 

 

ラストにこういうシーンがあります。 この『待ってて』というのが個人的に景零の何たるかを詰め込んだ一言で、そう景光は零が来るのを待っているし、零も景光のところへ行くために頑張って歩いているのですよ。

 

 

 

そしてこの"円"に例えたCP観を持つ(景零免許皆伝)と、彼らの別の旅も容易に想像できるようになるので、生存IFとかのパロディがはかどります。

 

生存IFは決して原作から目を背けた結果ではなく、むしろ目を向け続けたからこそ得た知見…のようなもので、とても前向きでハッピーなものだと捉えてもらえたら幸いです。

 

1冊目の奥付に、その本のイメソンを書いたんで、ここにも貼っておきます。

「共に生きれない日が来たって、どうせ愛してしまうと思うんだ」

って部分がまさに…って感じなんですよね~

 

 

2冊め「ふたりぼっち」のイメージソング「スピカ / plastic Tree」 ぜひ聴いてみてください…景零イメソン無限にありすぎる

 

それと景零イメソンといえばおなじみなのが米津玄師の「Lemon」ですけど、歌詞に「切り分けた果実の片方のように、今でもあなたは私の光」という部分がありますね。その部分の意味、わかります?

 

これはネットで見た考察のひとつなので別に正解とかでは無いのですが、スペインに、「あなたは私のオレンジの片割れ」という意味のことわざ?口説き文句?があるんだそうで、オレンジを半分にしたら全て別の切り口が出来て合うものはひとつしかない=自分の魂のパートナーで生涯愛する人のことを意味してるそうです。

 

そう思うと、Lemonまじ…

米津玄師なんでそんな景零に詳しいの?って言いたくもなりますよね。

 

ま、そ~~~~は言ってもさぁ! なかなか口には出来ないよ!生きてるキャラの死に関してはどうしても!

私も、平時であれば原作で生きているキャラの死ネタはむしろ苦手なので。

景零だけは違うの!なんて言っても、聴きたくないでしょう。 私だったら好きなキャラの死についての話なんて聴きたくない。

しかもそれがこの、あらゆる女の彼氏でもある大人気キャラの降谷零ともなれば、ボコボコにされるのがオチですから…。

 

なので、私は降谷零の死まで描いて景零の何たるかを説いている作品にとても敬意を持ってしまうし、勇気があるなぁと尊敬してしまいます。 センシティブな題材ですから、下手に扱ったらただキャラの命を弄んでいるだけに見えてしまうので、取り扱いには技術もいることですし。 私にはまだ、そこに踏み入る勇気はありません…。

 

 

降谷零が原作で今後どういった行動を取るのか、誰にもわかりません。

 

ただ、原作者によって死亡フラグが他のどのキャラよりグサグサ立てられているので、みんな不安だと思います。

そういった意味でも、景零は穏やかなものです。 生きてる間は見守り、その時が来たらお疲れ様と言え、寂しくなったらパロディに癒やしを求めることも出来る、そういう心構えが出来るので、何も不安などはありませんからね…

 

おいでよ!安心とやすらぎの、景零の森!